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高龍寺の宗派は曹洞宗
今から八百年ほど前の鎌倉時代に、
「道元禅師(どうげんぜんじ)」が
正伝の仏法を中国から日本に伝え、
「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が全国に広められ、
「曹洞宗」の礎を築かれました。
このお二方を両祖と申し上げ、
ご本尊「お釈迦さま(釈迦牟尼仏)」とともに、
「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」として仰ぎます。
曹洞宗には、大本山が2つあります。ひとつは福井県にある大本山永平寺(だいほんざん えいへいじ)であり、ひとつは横浜市にある大本山總持寺(だいほんざん そうじじ)です。これを両大本山といいます。
大本山永平寺は1244年、道元禅師が45歳のとき、波多野義重(はたの よししげ)公の願いによって、越前(福井県)に大仏寺(だいぶつじ)を建立し、2年後に永平寺と改められたことに始まります。
深山幽谷の地にたたずむ山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴室(よくしつ)、東司(とうす) の七堂伽藍(しちどうがらん)では、修行僧が道元禅師により定められた厳しい作法に従って禅の修行を営んでいます。
令和元年5月、永平寺の七堂伽藍を中心とする建物19棟が、国の重要文化財に指定されました。
大本山總持寺は1321年、瑩山禅師が54歳のとき、能登(石川県)の諸嶽寺(もろおかでら)を定賢律師(じょうけんりっし)より譲られ、これを禅院に改めて諸嶽山(しょがくさん)總持寺と名づけたことに始まります。
1898年に七堂伽藍を焼失し、1911年に能登から横浜市鶴見へ移りました。なお、旧地は總持寺祖院(そいん)として再建され、地域の信仰を集めて今日にいたっています。
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